鳥羽城山公園の桜は見ておきたい!鳥羽城本丸跡からも桜を見降ろせます

約2時間ほどの船旅を終え、鳥羽にやってきました。特に観光する目的はないですが、電車まで待ち時間があったので、散策することにしました。

JR鳥羽駅が最終目的地ですが、鳥羽フェリーターミナルから歩いていると、一面桜が咲いているところが見えるので、あれはなんだ?ということで、行ってきました。

かつては鳥羽城があったところで、今は城山公園となっているそうです。下のような写真の景色を見たら行きたくなりますよね。

鳥羽 城山公園の桜を遠くから見る

目次

城山公園へ

鳥羽の城山公園へは、ところどころ道の案内があったので、迷うことなく行けました。お城なので、のぼっていきます。まずは階段から。100mなら近いね!

鳥羽の城山公園へ続く階段

階段を登り切ると、あたり一面に桜が咲いているではありませんか!これは素晴らしい!土曜日の割にはそれほど人も多くなく、ゆっくりと散策できましたよ。

鳥羽の城山公園 一面、桜が咲いています

ちょうど今が満開!な時期でしたね。ラッキーでした。曇ってたのと、私の写真技術不足でいい写真とはいえないですが、桜の様子を見ていただければと思います。

鳥羽の城山公園 桜を拡大

城山公園についての案内というよりも、四等三角点についての案内ですね。いろいろと勉強になります。

鳥羽の城山公園について

ここに設置されている標石は「三角点」といい、地球上の位置(緯度、経度、高さ)が高い精度で求められています。

三角点はすべての測量の基準となっているとても大切なもので、地図づくりを初め、まちづくりにはなくてはならないものです。また、地震予知にも重要な役割を果たしています。汚したり、動かしたりしないように注意して下さい。

北緯 34度28分 45.389秒
東経 136度50分 47.328秒
標高 23.74m

鳥羽市
建設省国土地理院

鳥羽城本丸跡へ

城山公園に着いてもさらに奥へと行くことができます。奥へのぼって行くと鳥羽城の本丸跡まで行けます。

もう少しのぼってみましょう。

鳥羽の城山公園 奥へ進む

途中、舞台のようなものがありました。何かイベントでもあるのかな?

鳥羽の城山公園にあった舞台

鳥羽城本丸跡への案内がありました。もうすぐです。少し坂がありますが、大した距離ではありません。

鳥羽城本丸跡へ続く道

本丸跡に着きました。跡地なので、なんにもありません。かつては旧鳥羽小学校の運動場としても使われていたそうです。なかなか贅沢な運動場ですね〜。

鳥羽城本丸跡は何もありません

鳥羽城本丸跡についての案内板。これがなければ、この場所の意味も分からないですよね。

鳥羽城 本丸跡について

この場所は鳥羽城の本丸跡で、天守や本丸御殿が建っていました。延宝9(1681)年の記録によると、天守は3層で、大きさは5間×6間、高さは10間5尺、天守の下には土蔵があったと記されています。本丸御殿は、275坪であったとされています。

明治時代に建物は取り壊しとなり、現在は往時を偲ぶ建物は残っていませんが、周囲には野面積みの石垣の一部が今も残っています。この場所は平成21年まで旧鳥羽小学校の運動場として活用されていました。

城の築城時期については、九鬼嘉隆が文禄3(1594)年に竣工したとされていますが、詳しいことは不明でした。そのため、平成23(2011)年に初めて発掘調査が行われ、運動場跡の下から築城主である九鬼氏の時代とみられる16世紀末頃の石垣や雨落ち溝、土蔵や本丸御殿の一部と考えられる遺構が確認されました。現在は平坦となっていますが、天守台のあった場所が最も高く、本丸内でも高低差があったことも判明しました。

明治初期の開発によって城の海側の斜面は削平を受けており、急斜面となっていますが本来の城は現在の鳥羽水族館のところまで拡がっていました。ここからは、嘉隆が自著した答志島をはじめ鳥羽湾が展望でき、九鬼水軍の城にふさわしい「海城」の面影を偲ぶことができます。

鳥羽市教育委員会

 

最後の写真。鳥羽城本丸跡から見下ろす桜がとてもキレイでした。木がとても大きい。

DSC05278

ひと通り散策を終えたので、JR鳥羽駅に向かい、この旅も終わりを迎えます。

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